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高野参詣道(こうやさんけいみち)

和歌山県 橋本市、伊都郡九度山町・かつらぎ町・高野町
高野山町石道
町石道から眺めるかつらぎ町の町並み 町石道から眺めるかつらぎ町の町並み

高野参詣道は、参詣者の出発地点に応じて複数の経路が認められていた。その経路は、1)構成資産である町石道も含まれる金剛峯寺北側の紀ノ川から高野山に至る京大坂道・黒河道等の経路、2)東側の吉野と高野山を結ぶ大峰道、3)南側の熊野本宮大社や熊野参詣道中辺路方面と高野山を結ぶ小辺路・相浦道・龍神道等の経路、4)霊場高野山を囲繞する女人道の四つの経路に大別できる。

文化財指定:史跡


高野山資産マップ


高野参詣道 町石道

町石道は、高野山奥院御廟への参詣道のうち、空海が切り開き、その後も最もよく使われた主要道である。沿道には、金剛峯寺の中心である壇上伽藍からの距離を刻んだ町石(石製道標)が一町(約109m)及び一里(三十六町・約4km)ごとに建てられている。
町石は、元々、木製の卒塔婆が建てられていたが、1285年に花闘岩の四角柱頂部に五輪塔形を彫出した形の町石の設置が完成した。合計220基あった町石のうち7基が部分的に併行する国道480号に移された以外の町石は旧状が良好に保たれており、一町ごとに礼拝を重ねながら山上を目指した参詣の様子を今に伝える。

袈裟掛石

袈裟掛石
弘法大師が袈裟衣を掛けたといわれている石。この石から先は高野山の清浄結界。

二つ鳥居

二つ鳥居
丹生都比売神社が見える所に二つ並んで建立されている。この鳥居のすぐ横に立つ120町石から高野山までの道のりは、祈りの聖道と呼ばれていた。

144町石と1里石

144町石と1里石

154町石

欠損した町石と新たに建てられた町石(154町石)

高野参詣道 三谷坂

丹生酒殿神社

三谷坂は、12世紀に皇族により利用された山麓の丹生酒殿神社を出発し、丹生都比売神社を中継して町石道に合流する町石道の側副路である。慈尊院を出発する町石道よりも距離が短いため、町石道を登るよりも短時間での高野山への参詣が可能である。経路沿道には、空海の伝承に係りのある石造物が遺存する。

高野参詣道 京大坂道不動坂

京大坂道は、山麓の紀ノ川沿いから高野山へ向かう参詣道の中で、最も便利、安全で、かつ町石道よりも早く登ることができる経路である。そのため、14世紀には一定の利用がされていたことが調査で確認された。また、近世になると高野参詣の主要道として利用された経路である。不動坂は、京大坂道の終点である高野山不動坂女人堂の手前、距離約2.7km、高低差310mの急峻な坂道で、京大坂道のなかで最難所である。

高野参詣道 黒河道

黒河道は、大和方面及び江戸時代に交通の要衝であった橋本から高野山へと向かう最短経路で、山麓の紀ノ川岸沿いから女人道の子継峠に合流するまでの経路である。しかしながら、高低差が激しい経路であるため、先述の京大坂道のほうが短時間での参詣が可能であった。経路沿道には、参詣者に湯茶を供するために利用されていた茶所跡が遺存している。茶所跡には19世紀初頭に彫られたとみられる空海の版木が遺されており、江戸時代以来の高野山と黒河道との密接な関係性を示す。

高野参詣道 女人道

女性たちは、1872年に解禁されるまで高野山境内に立入ることが許されていなかった。そのため、女性たちは江戸時代後期までに確定されていた高野山境内の外周に設けられた各女人堂を巡り、山内を拝したことから、女人堂巡りの道が成立した。なお、女人道は女人堂巡りの道に加えて、高野山境内の外周にあたる奥院背後の高野三山の頂上に祀られる菩薩像の巡拝道を含む。

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