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吉野・大峯

標高千数百メートル級の急峻な山々が続く修験道の聖地で、紀伊山地の脊梁である大峰山脈のうち青根ヶ峯までを「吉野」、以南を「大峯」と呼ぶ。10世紀中頃には、既に日本第一の霊山として中国にもその名が伝わるほど尊崇を集めた。
吉野は古代から山岳信仰の対象であったが、修験の隆盛に伴い開祖とされる「役行者」ゆかりの聖地として重視された。
山岳での実践行を重んじる修験道では、山に入って苦行を重ねながら踏破することを「奥駈」あるいは「峯入」と称して最も重視するが、大峯はその舞台である。冬季は氷雪に閉ざされる険しい峯々が信仰の対象とされ、数多くの行場や拠点となる社寺を結んで「大峯奥駈道」が走っている。
霊場「吉野・大峯」には、吉野山、吉野水分神社、金峯神社、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺が含まれる。


吉野山(よしのやま)

吉野山
奈良県吉野郡吉野町吉野山 [地図 1-A]

大峰山脈の北端部に当たり、吉野川南岸の六田付近から青根ヶ峯までを吉野山と呼び、尾根上に道が走り、この道に沿って両側に社寺や旅館・土産物店などが建ち並び門前町を形作っている。周辺の尾根や斜面には、役行者が本尊を彫刻したという伝承にちなみ献木するという宗教行為によって植え続けられてきた桜が広範囲に分布し、わが国でも他に例をみない文化的景観をみせている。

文化財指定:史跡・名勝


吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)

奈良県吉野郡吉野町吉野山 [地図 1-B]
吉野水分神社

古代の分水嶺に対する信仰を祭祀の起源とする神社で、俗に子守神社とも呼ばれている。古くは青根ヶ峯に祀られていたといわれ、12世紀には神仏習合によって祭神が地蔵菩薩の垂迹とされ重視された。
社殿は本殿・拝殿・幣殿・楼門・回廊からなり、豊臣秀吉の意志を継いだ秀頼が慶長10年(1605)に再建したものである。

文化財指定:境内〔史跡〕、本殿(附:透塀1棟、棟札4枚)・拝殿(附:釣燈籠4個)・幣殿・楼門・回廊〔重要文化財〕

金峯神社(きんぷじんじゃ)

金峯神社
奈良県吉野郡吉野町吉野山 [地図 1-C]

金峯山(吉野山から山上ヶ岳までの山々の総称)の地主神である金山毘古(金精明神)を祭神とし、吉野水分神社とともに「吉野」が信仰の山となる端緒となった神社である。修験道の隆盛に伴い峯入の際に行者が通過すべき四つの門が定められたが、当社の社前には第二の「修行門」にあたる鳥居が建てられていた。

文化財指定:境内〔史跡〕


金峯山寺(きんぷせんじ)

奈良県吉野郡吉野町吉野山 [地図 1-D]
金峯山寺

修験道の霊場である吉野の中心的伽藍として、また山岳信仰の霊地として平安時代中期以降信仰を集めてきた寺院である。山上ヶ岳の大峰山寺の本堂を「山上蔵王堂」と呼ぶのに対して金峯山寺の本堂は「山下蔵王堂」と呼ばれた。境内には蔵王堂を中心として本堂の北に北面して建つ二重門の二王門、修行に先立ち意志を固めるための「発心門」である銅鳥居などが建ち並ぶ。

文化財指定:境内〔史跡〕、本堂〔国宝〕、二王門(附:風鐸)〔国宝〕、銅鳥居〔重要文化財〕

吉水神社(よしみずじんじゃ)

奈良県吉野郡吉野町吉野山 [地図 1-E]
吉水神社

明治初年の神仏分離令及び修験道廃止令により神社となったが、もとは吉水院と称した金峯山寺の一院であった。源義経が吉野潜伏の折りこの寺に起居したと伝えられ、後醍醐天皇が一時期行在所としたことでも知られる。

文化財指定:境内〔史跡〕、書院〔重要文化財〕


大峰山寺(おおみねさんじ)

大峯山寺
奈良県吉野郡天川村 [地図 1-F]

古代から信仰を集めた山上ヶ岳頂上にある修験道の寺院で、役行者の誓願に応じて蔵王権現が出現したと伝えられる霊地に建ち、修験道の聖地の中でも最も重要な場所とされている。本堂は元禄4年(1691)に完成し、さらに同16年に現在の規模に拡張されたとされる。柱は太いが建ち低く、高山に建てられた他に類をみない建造物である。

文化財指定:境内〔史跡〕、本堂(附:棟札6枚、扁額19枚、銘札2枚、寄進札51枚、旧銅丸瓦10枚、旧銀平瓦10枚)〔重要文化財〕

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