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道湯川集落跡(熊野古道中辺路・田辺市中辺路町)の発掘・展示整備が完成

 平成30年秋より、湯川王子付近の熊野古道沿いの発掘調査を行った結果、鎌倉~室町・安土桃山時代に建てられたとみられる掘立柱建物跡や近現代の礎石建物跡が確認され、山茶埦皿や中国製青磁、土師器皿、陶磁器が出土しました。  現地の復元・展示整備、案内板設置のほか、世界遺産センター(熊野本宮館内)での 3D模型展示などを行い、熊野古道の新たな見どころとして整備を行いました。

遺跡現地 案内板

世界遺産熊野本宮館内での展示 3D模型

道湯川集落跡

 道湯川集落は、室町時代(1336~1573)に日高郡に勢力を誇った湯川氏一族発祥の集落として知られる。この集落は、建仁元年(1201)10月に後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家の日記に「湯河宿所」とみえ、承元4年(1210)5月に修明門院の参詣に随行した藤原頼資の日記には、この周辺で休憩をとるなどしたことが記されている。
 また応永34年(1427)9月に足利義満の側室 北野殿が参詣した折には、「奥の湯川」を称する豪族が歓待したと記されるなど、少なくとも鎌倉時代(1185~1333)には人々が住み、室町時代を通じて貴族らの宿場や休憩所として繁栄していたことがうかがえる。
 その後の江戸時代(1603~1867)寛政10年(1798)の紀行文にも、「人家多く宿茶屋あり」とあり、この集落は長く人々が住み、また参詣者らが行きかっていた様子を知ることができる。しかし、昭和31年(1956)に最後の住人が離村し、廃村となった。

 和歌山県が平成30年度(2018~2019)に実施した発掘調査では、鎌倉時代から室町・安土桃山時代(1185~1603)に建てられたとみられる2間×5間の掘立柱建物跡や昭和(1926~1989)の建物跡が確認された。
 また、こうした遺構や調査地周辺から鎌倉時代の山茶埦や室町時代の中国製青磁、室町時代から江戸時代の土師器皿、江戸時代の陶磁器などが出土した。なかでも、とくに掘立柱建物跡は規模も比較的大きく、また、調査地周辺から中国製青磁が出土したことなどから、上記参詣時の宿場や休憩所に関わる建物跡の可能性があり、大変注目される。


道湯川集落跡 3Dモデル(PDF)

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現地及び展示場所

発掘・整備箇所のマップ

3D立体模型展示場所(世界遺産熊野本宮館)

道湯川集落跡付近については、和歌山県観光連盟の街道マップ「継桜王子(中辺路町)~熊野本宮大社(本宮町)」のページをご覧ください。

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